橋場を離れ、明治通りに出て白髭橋を渡ると向島エリアだ。この辺り、大水害に遭った江東区の一地帯で、その後、川の氾濫から町を守るために巨大なアパート群が建てられた。それも1棟めと2棟めが、川のほうから見ると重なって建てられ、その間を頑丈な扉が塞ぐようになってる。そうしたアパートが6棟はあったかな。つまり堤防の役目を兼ねたアパート、というわけだ。
アパートのあるつなぎ目を参道が通ってる
だがこれは梅若塚への参道じゃなく、隅田川神社への参道なのだ
アパートとアパートのつなぎ目をくぐって、参道を右にそれて歩くと
梅若塚のある木母寺に行きつく
これが堤防門のひとつ「梅若門」
隅田川の本物堤防とアパート堤防との間は、野球場やテニスコートを含む公園地帯になってて、緑豊かな広々とした空間だ。隅田川神社を割愛して梅若塚の木母寺をめざす。隅田川神社については、またの機会に紹介しようと思う。
この辺りはちょうど、橋場からの渡しが着く対岸で、
「江ノ口」と呼ばれてた場所に当たる。江戸湾と隅田川の接点だったとかで
「江戸」の呼び名の発祥地店てな説もあるようだ
梅若塚はしっかりとした梅若堂に設えられて
参詣者を迎えているようだ
「梅若寺」が最初の寺名だったようだけど、ある高僧かエライお人が「梅の文字を易しく分解して“木”と“母”に分けてはどうか」と言ったそうで、それで今は「木母寺」というわけだ。
右側が梅若塚。祠は、立派な耐風雨屋台に守られて安泰
ガラス越しに覗くけど、梅若丸の像はどれ? もしかしたら左の白装束が
そうかな? 母親、つまり妙亀尼が主役のように見えた
これで、謡曲『隅田川』、『梅若塚』リピートツアー報告を終わります。ありがとうございました。在原業平の『伊勢物語/東下り』をヒントに創られた謡曲『隅田川』
が、まるで史実のように、台東区、江東区の隅田川沿いに伝えられていること、能楽のチカラのあり様がしのばれるツアーでした。
おわり