取的(とりてき)って知ってる?
日本相撲協会の養成員力士が、そう呼ばれてる。序の口、序二段くらいまでを、そう呼ぶこともあるらしいね。
我っち、たまにだけど朝の散歩をする。ホント、たま~に。大川端に出ることもあれば下町路地をコトコトと歩くこともある。そんな下町を歩いていたとき、5人の取的に出会ったんだ。ちょんまげも結えないもしゃもしゃ頭、浴衣の着流し、素足に下駄、小振りの風呂敷包みを持ってる。歳のころ17、8かな。
そん時は行き違ったんだけど、実はね、こう思ってた。
近くの台東区・寿ってとこに伊勢ケ浜部屋の看板を挙げたビルがあって、でもそこは稽古場があるふうなデカさはないし、江東区の毛利ってとこには、ちゃんとした伊勢ケ浜部屋が本拠地らしい佇まいであるんだ。だから想像したのは、日馬富士引退の陰で、部屋の力士数を増やして次世代の確保を狙ってるのかも。そして毛利の部屋本拠には抱えきれない人数になったから、寿の部屋を宿舎ふうに使って、そこにいる取的が、稽古のために毛利の本拠部屋まで通ってんだろう‥‥てなてな。
それからしばらく後の2日前、また同んなじ道で、その取的たちと出会ったから、その一人に訊いてみた。
「伊勢ケ浜の取的さん?」
すると意外な返事「西岩部屋です」と。びっくり!
「え? あの若の里関の? 西岩部屋、近くなの?」
「はい、すぐそこです」
「あら、知らなかった。稽古で江東の伊勢ケ浜部屋まで通ってるのかと‥‥」
「教習所に行ってます」
「相撲教習所? 国技館の?」
「はい」
いやいや、ビックリだった。
「そっか、たいへんだね」
「いえ、電車がありますから」
「そう、しっかりね!」
こうして取的たちと別れて、我っちはまた路地を曲がった。
しっかり育つといいね。
相撲部屋の表札を写真に撮り集めてたから、西岩部屋、そのうちに行ってみようと思ってる。