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Channel: 海比古の酔いがたり
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吉原、夢あるき(終わりのその4)

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途中で「そうだ、あれも‥‥」てなこともあって、(その-4)まで来ちまった。

吉原の正面である大門へはS字カーブがあるけど、町並みを突き抜けて裏側に出ると、そこにもS字カーブの道があることが判った。この道、吉原敷地の周りを囲んでたお歯黒溝(おはぐろどぶ)の内側なのか外側なのかそれは判んないけど、こんなふう。

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     向こうのビルは台東病院。赤線廃止って法律が昭和33年3月に施工されて、それまでの公認
       遊郭には性病対策の病院があったようだけど、その後はこうして普通(?)の病院に変わっ
       ていったんだね。


この道を進むとすぐに、吉原神社がある。遊女の信仰を集めてたってことだけど、いまじゃ老若男女、遠く近くのお人が参拝してるね。赤塗りの社殿があってそこがお参りの本筋なんだけど、狭い境内には、よそから招祀されたちっこい祠が2つ3つ。それに狛狐や吉原の歴史を説明した掲示板なんぞも多い。吉原全体を俯瞰した絵も展示してあったけど、屋外展示の悲しさ、透明ビニールで覆われてて撮影は失敗。映り込みがひどくてね。

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左:吉原神社。参拝客が多かったんで、遠慮して境内の外から撮影だ! 
右:こうした、昔を語る小さい情報があちこちに掲示されてて、それを見て回るのも一興かもしれない


吉原神社から1分も歩くと、奥院と称される吉原弁財天がある。関東大震災での犠牲者を祀る一角なんだけど、主体的には遊女の犠牲者を慰霊する意味合いが強そうだ。この一角は、昔に弁天池という沼地のほとりだったそうで、そこが埋め立てられてNTTの建物が建った。沼に祀ってあった弁天様を社に引き取って、この一角が吉原弁天というわけだ。昔の弁天池には、身の不幸を背負った幾人もの遊女が入水して死んでいったらしい。そうしてみると、ここ吉原弁天の一角には幾重にも重なった悲しみが集められてるようにも想えた。

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左:震災犠牲者を慰霊する観音像。かつてあった弁天池の方を向いており、やはり遊女への思い入れを感じた
右:弁天堂はこのとおり極彩色の社で、遊郭の華やかさの追想かな、とも想わせた。垣根の向こう側に泉水が
あり、緋鯉が泳いでる。かつての弁天池は、その狭い泉水に引き継がれたんだろうな

吉原、夢あるき」はこれでおしまい。
過去と現在をないまぜに語ってみたけど、我っち自身が「へえ~」なんて勉強が
できたあるきでした。ご相伴ありがとうございました。

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