東京下町の風物や祭りなど断片的に書いてはきたけど、吉原についてはなに一つ書いちゃいない。「書いてみようかな~」なんて思いはじめたら、結構にネタがあるんだね。そこでのっけから「その1」なんてタイトルにしちまった。ま、そんなに3回~4回と書くわけじゃないけど「その2」までは確かなこと。どうぞ、おつきあいください。
吉原。ご存じ遊郭とその関連店だけで成り立った町。ここを昔の面影を探りながら歩いてみたらさぞ、面白かろうと思った。でも吉原の町のことだけじゃ、どうも面白くはないような気もしてきて、いっそ、大昔のころに居たであろう海比古を主人公に、夢のような「吉原参り」を仕立ててみようかと思いついた次第です。
ウチからそう遠くはない神田川が大川に流れ込むところに、柳橋って橋がある。今もそうだけど、そこの川岸には昔も船宿があって、昔は猪牙舟(ちょきぶね)を使った水上タクシーみたいな仕事をしてた。落語「船徳」では、勘当されたお店の若旦那が、ある船宿にころがり込んでナニをするでなく宿の2階でぐーたらしてたようだ。でも船頭たちのカッコ良さに憧れて自分も船頭になる! ってなバカな思いに取り付かれた。
若旦那の初仕事は、二人連れの旦那方で、ひとりは様式な身なりだ。大川に漕ぎ出したが櫓さばきなんぞできっこない。流されそうになるのを必死にこらえて舟は2回3回と旋回するばっかりで、あげく、岸の石垣に吸い寄せられる。「お客さん、お持ちの傘で石垣を押してください」。客は大事な洋傘の先端を石垣に宛がってグイ!と押す。すると傘は石垣お隙間に刺さったマンマで、舟は幸い大川を登り始めた。
*画像は2点とも借用お願い中
左:奥に柳橋が見える。その右の茶色のビルは平山郁夫ひいきだった「亀清楼」 右:亀清楼と思われる料亭と石垣
海比古もここから猪牙舟に乗って大川を登り、竹屋の渡し場までまっつぐに向かう。昔当時は無かった橋の数々をくぐって行く。蔵前橋、厩橋、駒形橋、吾妻橋、言問橋。それぞれの橋は個性的で楽しめるね。その中で一番好きなのは厩橋だ。緑色の3連アーチが、大川に架かる橋ではユニークだね。そして我っちの意識は昔に戻っている。茂みから左手の岸の茂みから伸びてる板桟橋に到着だ。
ここは竹屋の渡しといって、あの東海林太郎さんが唄った「すみだ川」での女のセリフ『ああ、そうだったわね あなたが二十歳 わたしが十七のときよ いつも清元のお稽古から帰ってくると あなたはいつも竹屋の渡し場で 待っていてくれたわね』の舞台なんだね。大川の対岸は向島の花街。いまも時刻を気につけて歩いてみると、風呂帰りの芸妓さんが、洗い髪を頭の上に巻き上げて浴衣姿に出会える。ひとりで歩くのは見たことないナ。必ず二人連れなんだよ。どしてかな? なんとなくわかる気もするけど。
(つづく)