きのう、両国の南側あたり(両国一丁目~四丁目)を歩いた。ナンか久しぶり。
画像を中心に紹介しましょうね。
吉良上野介邸跡がささやかに残されてる。塀の先を見ると
「小松屋」が店を出してるなあ。ここらへん何回も来てるのに
気づかなかった。店先にゃこんな小物も並べてあった。
ふと、目に留まったのがこれ! 「煎り酒」の張り紙!
へえ~、小松屋ってのは、あの柳橋たもとにある屋形船のダントツの老舗で、佃煮なんぞも商ってる有名な船宿だ。
煎り酒‥‥これは‥‥さ、どうしよか‥‥
ちょいと歩いて両国小学校の東に出ると、そこは勝海舟の生まれたとこ。公園になってる。
この場所は海舟の叔父貴(たしか旗本だった?)の屋敷で、父の勝 小吉はじめ一家でお世話になってたんだってさ。
吉良邸はすんごく広かったらしいけど、その裏門の場所は、
この立て看板だけ。大石主税が大将になって討ち入った裏口隊の名残だね。
このあたり相撲部屋がいくつもあるよ。時津風部屋は、もと双葉山が開いた相撲道場が礎になってる。出羽海部屋、井筒部屋‥‥春日野部屋もあるけど‥‥‥‥なんだか心が落ち着かな気分になってきて、撮り忘れた。
どうもね、あの「煎り酒」が気になって仕方ない。以前にアップしたブログで自分でも作ってみようか、どうしよかって、そのまんまになってた。
この記事にゃ「ぜひやってくれ」とか「どうせやるなら梅干し漬けからやるべきだ」てな応援があった。いやあ~、これにはすごいプレッシャーを感じたな。結局のとこ我っちの強くない思いはスルスル~っと消えちまってた。
よし、久しぶりだ柳橋と小松屋を見てから帰ろう、と両国橋を渡る。
両国橋から西詰方向を見ると、こんなふう。歩いてきた京葉道路は、橋を渡ると靖国通に名前が変わる。この西詰は江戸の昔、掛け小屋がならんで見世物や芝居、みやげ屋、食い物飲み物屋なんぞで大賑わいだったところだ。画面右端に神田川の合流点と柳橋。
柳橋はこんなふう。北詰の左岸に小松屋はある。煎り酒が頭から離れないまんま、旨そうな佃煮の数々を見つめたが‥‥‥
ダメだ! 両国に戻ろう!! あっちの小松屋に戻ろう!!! そして結局はゲットした。
大事にだいじに持ち帰って、しげしげと検分。メーカーは銀座三河屋、とあった。そうか、小松屋もプライドあるから、柳橋の本店じゃなく両国の出店で扱ってる、ってことなんだな。てなてなことで、はからずも煎り酒を手に入れちまった。あとは白身の魚を求めて、この煎り酒との相性を確かめるだけだな。大川の西側から東側に渡って、西側にわたり、また東に渡り、そして西側に渡ってウチに戻ったきのうの徘徊、こんな顛末でありました。さて、きょうはこれから白身の魚を探しに出かけることにしよう。いい魚あるかな。