福岡のソフトバンクホークスが優勝へのマジックナンバーを「8」と、一桁にしたようだ。
近年、30いくつってな段階からマジックナンバーを言いはじめてるようだけど、やっぱり一桁になんないと臨場感がないね。
我っちはプロもアマも高校も、野球ってものに興味がないし知らないことが多い。球審のボールカウントの採り方も、いつのまにか「ツウボール、ワンストライク」なんてアウトカウントが先行すようになってる。「ワンストライク、ツウボール」が判りやすいなあ~って思うんだよ。それに「チェンジアップ」って球種(?)投球テクニック(?)がナンなのか、いまだに判らずにいるくらいの野球音痴なんだよな。
そんな我っちがナンでマジックナンバーに気をつけてたかって言うと、だ。工藤公康サンがソフトバンクホークスの監督さんになったからなんだな。我っち、工藤さんのこと訳もなく好きなんだよ。福岡のチームの監督になったってことが、輪をかけて好きな想いを刺激したんだ。
東京に居ながら、在京のチームはもちろん横浜のチームも所沢のチームも、まったくのスルゥーなのに、なんで福岡か? って思うでしょ? それには訳があるんです!
博多の会社に勤めて5年あまりの間、二十歳代前半の我っちは見るもの聞くもの、食うもの呑むもの、仕事も遊びも、フル回転だった。そんななか、昭和37年か38年のパ・リーグ優勝をかけたデッドヒートが展開されてた。当時の南海ホークス(大阪)と西鉄ライオンズ(福岡)の対戦だ。大阪での試合で南海ホークスは西鉄ライオンズに連勝し、優勝に王手をかけて福岡に乗り込んできた。ライオンズはたしか3連勝しないと優勝できない状態だったと記憶してる。会社の先輩が「ひっくり返すた、ムリばい。南海の優勝に決まっとろうもん」なんて強弁するから、「やってみにゃ判らんでっしょうもん!」と我っちは対抗した。すると驚いたことに、「そげんや。西鉄ん優勝したなら、坊主になってみするばい」と先輩。
結果は西鉄ライオンズの3連勝で、大逆転優勝となった!
先輩は五分刈りくらいの坊主になった。本格丸坊主じゃなかったから、ちと残念に思った我っちだけども、ま、先輩の男気は認めまっショ! ってこと♪
優勝パレードで天神の電車通りを行くオープンカーの列に、会社の屋上から紙吹雪を撒いたのが、いまもって懐かしい思い出だ。
そんなことがあったのに、南海ホークスは身売りとなり、現在の「福岡ソフトバンクホークス」に。西鉄ライオンズは紆余曲折の果てに「所沢西武ライオンズ」となってる。我っちは「ライオンズ」よりも「福岡」に馴染みを持ってたってことなのかな。
会社ではデザイン企画課に属してた。ある日、課長の次にエライ S室長に連れられて下関に出張だった。クライアントは “丸にはの字の” 大洋漁業。当時はプロ野球「大洋ホエールズ」のオーナーでもあった。S室長はホエールズの戦績なんぞを話題にも出してたけど、我っちはおおいに驚いたんだった。なぜかといえば、室長は50がらみの日本画家か作家・川端康成を彷彿させる佇まいのお人で、野球なんぞとは縁のない人だったはず。
「やっぱりエライ人は、営業用の話題を仕込んでから出かけるのかなあ~」なんてことを思いながら、おとなしく隣で会話を聞いてた海比古でありました。
そんなこんなの野球音痴がいま、福岡ソフトバンクのパ・リーグ優勝を心待ちしてるのって不思議でしょ? 工藤監督の胴上げもいいけど、あの天神でのパレードの紙吹雪が思い出されてしかたないんだよ。解っとくれ。